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山に龍脈が流れる公式がある。上記のような山は龍脈が流れやすい。地図からそのような山を探し出し、そこへいくとよい。いろんな山をランダムに探すよりは早い。<山環水抱図>をみてほしい。
これで山岳地理風水用語もわかるだろう。
(図中の用語をクリックいたしますと用語の説明を参照できます。) |
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案山
明堂の先にある丘陵。(京都の場合は船岡丘陵)風水都市計画の重要ポイントになる。龍脈の案内山、誘導山 |
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朱雀宮
朱雀には山も「砂」もないかわりに他の方角には定義されていない広大な平野がある。ほぼ楕円に近い南に広がる大地のことを朱雀宮や
朱雀広地といい、肥沃な土地であることが条件である。 |
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青龍
東の守護神。青龍山も青龍砂も同じ。家庭環境の調整を司る方角。祖宗山よりも低い山脈や連峰 |
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祖宗山
主山の後ろに山が続く場合、後ろの山々を祖宗山とよぶ。補助玄武 |
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朝山
朱雀宮の中央にある低い山塊か丘陵で龍脈の誘導を行う。 |
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白虎
白虎山、四神相応で西に位置する山か山脈で西の守護神。青龍もそうだが、「砂」が存在し、白虎自体が小さな玄武となる場合
もある。山環水抱の地形で外にある白虎は外白虎、内側にもう一つ白虎がある 場合は内白虎という。経済、ビジネスを司る方角。祖宗山よりも低い山岳や連峰 |
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砂(さ)
青龍と白虎の各先端部分にある急に落ち込む場所。日本の場合は必ず と言っていいほど神社、寺、祠がある。これは日本の山岳地理風水の
特徴といえよう。本場中国は何もない方が多い。田畑には最適。龍脈が急にせばまると ころなので気の質は濃い。 |
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龍脈
龍脈とは地球そのものの「気」、エネルギー、東洋科学の原点である。山のエネルギーの流れ。人間にも気があるように地球の気の流れを言う。人間に気がなければ死んでいる。同じく、大地に気の流れがないと、その大地は死んでいる。
龍脈に沿って流れる生気にあたることで吉福が得られる。もともと地球にあるエネルギーで豊富にあるので使わない手はない。また龍穴は人間でいうところのツボにあたる。風水の基本地形にのっとった山岳、山脈があり、ある程度開発された山麓があり、山頂は未開発、都市が山の下の方、平地にある場合龍脈は流れやすい。龍脈エネルギーは地球のエネルギーの本質であり、ある程度開発された山麓でも流れる。人間に最適なのは4〜6合目あたりの龍脈で癒しに最適。このエネルギーは山麓に開発された区域、居住区、高原都市があっても弱小化しない。
龍脈保護の為には治水植林(例えばカナダのバンクーバーでは都市近郊の丘陵地の森林を一部植林している)を行う。
植林の逆、森林の過剰伐採と山崩しを行った為に、山岳と平地の重量バランスが均衡を崩し、阪神大震災が起こったともいわれる。(六甲、ポートアイランド建設のための埋め立て工事)
風水は一見迷信のように思われるが、中国古代文化における豊富な科学的内容を含んだ物であると、中国気功学院で発表されたのがつい最近である。
各地で起こる生活上の不可思議な出来事、一定の場所で多発する交通事故、熱病患者が引っ越しすると病気が自然治癒する、方形建築を円形になおすと財産が増えるなど、といったことが実際にある。
西洋科学ではない科学は科学でないというおごりははたからみていて何と了見が狭いものかと思う。
風水とは東洋科学に属する物である。都市の設計方法に、中心に大きな道路を造り、両側を左右対称にして都市を設計していくという方法ある。
右と左の端に門を、東北に大きなビルや楼門を造る風水都市。繁栄への約束である。
現在も北京、札幌、京都は繁栄している。 |
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龍点
山のエネルギーの開始地点。地球の気の噴出地点で山頂に位置する。大変気持ちの良い癒しの場所であるが、地球の気が外に出たばかりの
物なので敏感な人にはきついエネルギー質である。龍点の存在する山を主山、祖宗山という。現代社会人との相性は悪い。この地点にある人工建造物、西域、山頂
をいう。 |
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龍脳
龍点の山の8合目付近、日本の場合は祠か、道祖神があるはず。または羅盤の針がふれる場所。 |
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龍穴
龍脈が一端地下へ入り込み土地を潤す。その入り込む地点と出てくる 地点。
たいてい、都市または市街地の端の方にある。町中の割には異常に場 の強く、清浄な場所。邪気をよせつけない。出るところは朱雀の付近
にある。
都市の真っ只中にあることも多々ある。
癒しに最適<新梅田スカイビル、恵比寿GPなど>
地理上の定義は青龍と白虎の山の最高地点と結んだ線と龍点と朱雀宮 の中心、または青龍砂と白虎砂の間の点を結んだ線との交差点であ
る。 |
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龍口水(龍水)
龍穴のような役割を担う水の流れ。弱まった龍脈を再活性化させる水 際で2本の川の合流点である。そこには池、噴水、滝、泉もある。
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吉都市
龍脈の好影響を受ける都市
人も地球のそれぞれの磁場でひきよせあい、相互関係が生まれる。一般的にどこの龍脈でも人は大丈夫であり、現代の社会人に龍脈の微妙な差がわかるはずもなく、A山だから気持ちよく、B山だから気持ち悪いというのは都会人にはまず分からない。自然環境から遠ざかり、既に鈍感になってしまったからである。
地球のエネルギーに善悪はなく、強弱しかないのでこれを善い悪いというのは自分の気に対する許容量が、強い気の所へ行くと越えてしまうので悪く感じるのであり、実は強すぎて酸素過多ならぬ「気過多」になっているのである。
自分が弱く龍脈が強いとそこは気持ち悪いので「悪い」と言っているのであって、逆に自分が強く、龍脈が弱ければ、そこは何も感じないはずである。
神社や寺が悪いというのではなく、自分が弱すぎて気を受け付けるのがオーバーになっていることであり、自分を強化すればよいのである。
ここは「悪い」と言って、場や宗教建築物、山岳のせいにする前に自己強化をするべきである。
たまに神社などは呪いを履行するために使用され、実際に悪くなっているところもあるが、少数である。 人には善悪がある。古代の人々は自然環境が身近にあったため大地の気を純粋に感じ取ることができるほど敏感だったので山にお堂や神社を建てられた。それもポイントを外すことなく。
室町時代から建造物が増え始め、自然を破壊することで人間が自然から離れ始め、今現在お堂や神社の土地を定める人は過去のデータに基づいて造るしかないほど、土地や地球のエネルギーに関して我々は鈍感になっているのである。
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